『鈴谷』(昭和17年)

Heavy Cruiser "SUZUYA" in 1942


重巡洋艦『鈴谷』
製作仕様  ミッドウェー海戦時仕様(昭和17年5月頃)第2艦隊 第7戦隊所属
使用キット  ウォーターラインシリーズNo.343 タミヤインジェクションキット
製作 2012年




 軍縮条約下で建造枠の都合から15.5センチ砲15門搭載の軽巡洋艦として横須賀海軍工廠で建造されたのが改最上型巡洋艦『鈴谷』です。

 今作品は開戦から約半年猛ダッシュのごとく各地の戦線に参加し運命のミッドウェー海戦を迎えた頃の第7戦隊をイメージして製作いたしました。出征後出ずっぱりの状態で汚れなどが付着して勇ましさが増した雰囲気が出せていればとおもいます。

 

 航空巡洋艦に改装された『最上』や戦隊の旗艦だった『熊野』、海軍最初の喪失重巡洋艦となってしまった『三隈』とくらべてやや地味な印象もあると思いますが、実はレイテでその生涯を終えるまでに非常に気骨あふれる活躍をした艦でもありました。

 

 ミッドウェー作戦の時に旗艦熊野の退避命令の伝達ミスによる僚艦衝突という失態を起こしてしまった『最上』『三隈』が、その後米軍に捕捉されてその攻撃を一身に受けて大火災を起こして行動不能に陥った『三隈』を一隻残して戦線を退却するという命令を不服と思った当時の艦長は、独自の判断で「機関の故障で追従できず」と返して戦隊を離脱、その護衛として残った駆逐艦2隻と共に『三隈』の生存者を救出するために米軍の攻撃の隙をついて戦地にもどり、救出を可能な限りしてからその名誉のために自沈処分として、漂流する『三隈』を雷撃処分して戦隊に戻ったという話を知り、軍隊として命令違反は問題という部分も理解しつつもその行動に非常に感銘を受けた記憶がありました。

 

 その後のレイテ沖海戦では行動不能になった旗艦『熊野』から戦隊の旗艦を引継ぎ『利根』『筑摩』などとぎりぎりまで退路を確保しつつ退却を助け続けたことなど、非常に気骨のあるいぶし銀のような印象です。

 

 製作仕様は昭和17年3月〜5月ごろといたしました。ウォーターラインシリーズのリニューアルキットの中でもタミヤの自信作とあって非常に特徴をよく捉えていると思います。1番5番主砲塔の天板には日の丸が識別として入っていたことから入れました。遮熱板はフライホークのパーツを調整して取り付けました。

 

 当時搭載されていた艦載機は95式水偵と零式三座水偵でまだ上面を暗緑色で塗装されていなかったため全面明灰白色としています。予備翼や予備フロートなど搭載位置が資料では判然としなかったので、僚艦『最上』や『熊野』の写真を参考にしています。

 

 出ずっぱりのクタクタ感を出すためにサビや汚し表現は少し強調してあります。また艦橋内部には双眼鏡、窓枠にはガラス表現をしています。艦尾に艦名をつけました。ジョーワールドのエッジングパーツになります。実際には塗りつぶされていたのですが、見栄えを考慮してそのまましてあります。白銀色なので、色調だけ整える感じで仕上ました。

 

 製作が2012年とかなり前の作品ですので、いずれアップデート版を製作したいとも考えています。

 

 御覧いただきまして、誠にありがとうございました。

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