特設水上機母艦『君川丸』(KIMIKAWAMARU)1942


特設水上機母艦『君川丸』
製作仕様  開戦時仕様(昭和17年2月)第5艦隊 第21戦隊所属(北方派遣艦隊)
使用キット  スカイウェーブシリーズNo.W-51 ピットロードインジェクションキット
製作期間   2011年9月建造開始 2011年12月竣工(2014年〜2013年再製作)
※参考文献 モデルアート社『日本海軍艦艇図面集3』
        雑誌『丸』1971年『日本の小艦艇写真集』
        スカイウェーブジャーナル『北方作戦』他

 日本海軍は優秀な貨物船、客船、貨客船など戦時の際に軍に徴用する目的で各造船会社、海運会社に出資しており、その中で主に 通商破壊などの目的で特設巡
洋艦などの艦艇運用の計画が盛り込まれていました。特設水上機母艦もその一種で、その歴史は割りと古く飛行機が兵器として利用された ころからその運用は研究さ
れてきました。若宮丸を始めとする水上機運用艦艇も、飛行場の建設がままならない戦地において海上はそのまま滑走路となる水上機の重要性は 高かったために機
体とそれを運用する艦船は重要視され、この『君川丸』も川崎汽船が所有する貨客船を徴用した船でした。同型船は『神川丸』『聖川丸』『国川丸』で、 それぞれ頭文字
を並べて『神君聖国』と親しまれました。

 『君川丸』は軽巡洋艦『多摩』『木曾』と第21戦隊を構成し開戦から北部方面戦線の哨戒警備任務に従事し、『龍襄』『隼鷹』などの空母が配置されるまでの間、貴重
な航空機戦力をもっていた部隊でした。水上機とはいえ最大の運用機数は12機と大きく(神川丸など前部甲板も飛行甲板に改装されたものは18機)、中でも『君川丸』
は 航空機運用、物資運搬、補給などで艦隊の要となる役割をこなしました。昭和18年10月に水上機母艦から特別運送船に転籍、物資輸送に従事することとなりまし
たが、 昭和19年10月ルソン島沖北西にて米潜水艦ソーフィッシュの雷撃を受けて沈没、その生涯を終えました。

 今作品は第5艦隊第21戦隊とした時の仕様で製作いたしました。僚艦『多摩』『木曾』と共に海軍艦艇の中でも珍しく白色迷彩を施し、異
彩を放っていました。当工廠でそれぞれ製作済みでして、この『君川丸』をもって 白色迷彩トリオの完成となりました。(2015年にかけて再製作しました^^)

 


 キットについては、ピットロードのキットになりますが、発表当初からその全長に誤りがあり、修正を必要とするキットとなってしまっています。

 いずれメーカー様には修正版を再リリースして欲しいキットでもありますね〜^^個人的には地味な割りに人気のある船だと思うんですが・・・

再製作するに あたって進行中にアオシマから神川丸ふくめ君川丸のリリースがあり、船体などキットを検証しました。割と鮮明な写真が残されているのですがところどころリ サーチミスが散見されるので若干残念な気もします。神川丸とパーツライナーを分けて差別化するなど非常に積極的なキット化でもあったので惜しいですね ^^;

いずれ神川丸含めて4姉妹すべて製作したいですね〜



 今回は製作時期を少し後ろにずらして二式水戦を搭載してみました。昭和17年にはいり各方面で零式水観や零式三座水偵など上面濃緑色塗装が施されていき ました。黄帯で示した味方識別帯を昭和18年の戦訓指令以降なのでこの時期はまだ施されていなかったので表現していません。零式三座水偵については翼面積 の兼ね合いで振れ止めを表現しています。


白色迷彩塗装については前回はキットの塗装指示に従って仕上げてしまいましたがこの時期に撮影された写真から修正した形にいたしました。下の写真はそのアングルに近い感じで撮ってみました^^


  ピットロードのキットは船体自体の寸法の読み違いから全長が足りないのですが、船体を延長しそれに伴ってブリッジ部分、飛行機作業甲板などセミスクラッチ して再現しました。木甲板部分はエッジングの木甲板パーツを貼り付けて製作し、運搬軌条もすべて図面をもとにスクラッチしました。捕用を含め運用12機と いう数があながちオーバーではなかったことがわかって面白いです。甲板満載状態で8機、船倉に4機分という数になりますから特設艦とはいえ運用能力が非常 に高かったこともうなづけますね^^

 


以上ご覧頂きましてありがとうございました。

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