『筑摩』(昭和19年)


重巡洋艦『筑摩』
製作仕様  レイテ沖海戦時仕様(昭和19年)第2艦隊 第7戦隊所属
使用キット  ウォーターラインシリーズNo.332 アオシマインジェク ションキット
製作   2013

 

 

 

 

 

 

 

 

  今作品は『筑摩』のほぼ最終時とする昭和19年夏ごろを想定して製作いたしました。当時、同時に『利根』も製作していまして同じくレイテ沖海戦時としていましたので当時の第7戦隊を再現できればとの思いと、キットのメーカーを比較する企画で進めました。

 

 真珠湾作戦から機動部隊に随伴し艦隊の耳目として活躍した『筑摩』は昭和19年サマール沖海戦にて損傷、艦隊から落伍したのちに最後を看取られることもなく失われました。これも戦後唯一生存された乗組員の供述と米軍の記録によってようやく判明したことでした。

 

 落伍した筑摩に随伴を試みた駆逐艦『野分』は沈没直後に到着、海面に浮かんでいた乗組員を救助したものの米艦隊に捕捉され砲撃。撃沈され生存者なしという壮絶な最後を遂げてしまいました。ただ一人『野分』の救助をうけられなかった乗組員は米艦隊に救助され捕虜としてレイテに収容、終戦後復員ののちこの『筑摩』の最期が明らかになったというエピソードが伝えられています。

 

 この『筑摩』はアオシマキットの特徴ともいえるスタイリッシュな船体がフジミキットに比べるとややシャープな印象に感じるかもしれません。艦橋部分の兵員待機室など必要な修正や追加工作は施しました。

 同型艦の『利根』との識別点として主なところは前後マストの信号灯の位置が逆になっている点、その他は増設された25ミリ機銃の配置がやや違う点があり、そのあたりは注意して製作いたしました。

 

 二隻写っている写真の手前が『筑摩』で奥が『利根』になります。 前部マストの21号電探については採用しているパーツの関係でかなり大きさが違っていますが実際にも若干の違いはあったと思います。信号旗はそれぞれ艦名表示になっています。

 

 後部の飛行機作業甲板に降りるスロープのトラスなどはスクラッチして作りこんでいます。フライホークのパーツセットを検討しましたが形状が違うために採用しませんでした。艦載機は規定数をすべて載せてみました。レイテ作戦時まではこの数が搭載運用されています。艦尾の艦名板は模型映えを考慮して塗りつぶしていません。

 

 その他、ピットロードNEシリーズ、ファインモールドのナノドレッドのパーツに加えて各種レジンパーツをできる限り使用してデティールアップを施しました。艦橋の窓ガラス表現も加えています。

 

 製作が2012年とかなり前の作品ですので現在の目ではかなり見劣りする部分もありますが当時の製作記事をブログにて掲載しています。

 

  工場長の独り言ブログ(筑摩1944編)

 

  御覧いただきまして、誠にありがとうございました。

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